「いい人が集まれば大丈夫」だと思っていました
Villageを考えはじめた頃、私は、いい人が集まれば大丈夫だと思っていました。
誠実な人。約束を守る人。困っている人がいたら、そっと手を貸せる人。そういう人たちが集まれば、細かい決まりごとなんてなくても回っていくはずだ、と。
でもあるとき、自分に聞いてみたんです。私はいったい、どういう意味で「信頼できる」と言っているんだろう、と。
思い浮かんだのは、顔でした。あの人なら任せられる。あの人なら大丈夫。全部、特定の誰かの顔とくっついていました。
そこで、気づいてしまったんです。それは、その人がいなくなったら消えてしまうものだ、と。
体調を崩すかもしれない。家の事情で離れるかもしれない。人が抜けるのはふつうに起きることです。なのに私が思い描いていた信頼は、その「ふつう」に耐えられない作りをしていました。
しかも、もっと苦しいことがあります。「あの人がいるから回っている」という状態は、いちばん頼られている人にいちばん重くのしかかります。休みたいと言い出せなくなる。抜けたら迷惑がかかると思ってしまう。信じられているはずの人が、いちばん自由でなくなる。
それで、信頼の意味を置き換えることにしました。
その人がいなくても壊れないこと。
もうひとつ付け加えるなら、同じ決まりが、誰にも同じように使われること。次に何が起きるか予想がつく、ということです。
冷たい言い方に聞こえるかもしれません。私も最初はそう感じました。
でも、しばらく考えて、逆かもしれないと思うようになりました。「この人は特別だから」「今回はしかたないから」と例外が積み重なっていく場所では、声の大きい人や、その場に長くいる人が、なんとなく得をしていきます。誰も悪気はないのに、そうなる。そして立場の弱い人ほど、それに気づいても言い出せません。
決まりが決まりのまま使われるというのは、たぶん、いちばん立場の弱い人のためにある約束なんです。
とはいえ、これで全部が解決するとも思っていません。決まりごとを増やしすぎれば、今度は息苦しい場所になります。どこまでを構造で支えて、どこからを人の気持ちに委ねるのか。その線引きは、正直まだ手探りです。
ただ、出発点だけは変わりました。誰かのやさしさを当てにして設計するのは、もうやめようと思っています。
いなくても壊れない。だから、安心していなくなれる。そういう場所のほうが、結局は長くいたくなる気がしていて。きっと、同じように感じる人もいると思うんです。