数字を全部見せることにした、いちばんの理由
Villageでは、中にいる人には数字を全部見せることにしました。
その月にいくら残ったのか。誰がどれだけ動いたのか。その結果、誰にいくら行ったのか。名前入りで、全員が見られるようにします。
書いてしまうと簡単ですが、決めるまでにはずいぶん迷いました。
自分の取り分が人に見られるのは、あまり気持ちのいいものではありません。少ない月には引け目を感じるかもしれないし、多い月には後ろめたさが出るかもしれない。比べるつもりがなくても、目に入れば比べてしまうものだと思います。
それでも見せることにしたのは、見せないほうが怖いと思ったからでした。
見えないところで分けられていると、疑いは必ず生まれます。しかも、たいていの場合、その疑いは口に出されません。「なんとなくおかしい気がする」くらいの、形にならないもやもやのまま、心の中に置かれ続けます。そういうものが少しずつ溜まっていった場所が、ある日いきなり壊れるのを、私は仕事の中で何度も見てきました。
疑いは、生まれてから消すのがとても難しい。だったら、生まれないようにするしかない、と思ったんです。
だから、働いた時間の記録の仕方も、少し細かく決めました。
あとからまとめて書かない。その日のうちに、やったそばから記録する。何をやったかは、あらかじめ用意した項目から選んでもらいます。自由に書けるようにすると、書き方の上手い下手が出てしまうからです。そして、記録をつける担当の人が、自分の記録を自分で承認することはできないようにしてあります。
書きながら、これはずいぶん疑い深い設計だなと思いました。
でも、逆かもしれないとも思っています。ここまで決めておけば、誰も他人の記録を気にしなくてよくなる。ちゃんとやっているかどうかを、お互いに見張らなくてよくなる。仕組みが引き受けてくれる分だけ、人と人のあいだは軽くなるんじゃないか、と。
もちろん、外に対しては全部は出しません。個人の事情や、取引先とのやりとりは中に留めます。開くのは、公平かどうかを確かめるために必要な数字だけです。
まだ迷っているのは、名前を出すかどうかです。公平さのためには名前が要るけれど、それが誰かを縮こまらせるなら、意味がありません。ここは実際に始めてから、参加した人と話して決めたいと思っています。
見られて困る数字がない場所は、たぶん、けっこう居心地がいいはずなんです。少なくとも私は、そういう場所で働きたいと思っていて。