弱い人を守るというのは、強い人の自由を減らすことでした
Villageを設計していて、いちばん苦い顔になった瞬間の話を書きます。
私はずっと、立場の弱い人が不利にならない場所を作りたいと思ってきました。仕事が途切れてしまった人、ひとりで子どもを育てている人、もう一度働きはじめたい人。そういう人が、遠慮しなくていい場所。
それをどう作るかを考えていて、ある日、身も蓋もない答えにたどり着いてしまいました。
弱い人を守るというのは、要するに、強い人の自由を減らすことなんだ、と。
これは、あまり気持ちのいい結論ではありませんでした。私はできれば、みんなが伸び伸びできる場所と言いたかったからです。
でも、順番に考えていくと、そうなってしまうんです。
たとえば、判断できる人がいるとします。仕事が早くて、先が読めて、決めるべきときに決められる。その人に「まあ、いいようにやっておいて」と任せると、ものごとはよく進みます。
問題は、その「いいように」の中身が、外から見えないことです。
見えないものには、何も言えません。おかしいと思っても、根拠がないので黙るしかない。そして黙るのは、たいてい立場の弱いほうです。悪意なんてどこにもなくても、これは起きます。だから、任せきりにしないための線を引くことにしました。
決められる範囲を、あらかじめ書いておく。その外のことは、決められる人でも決めない。守られていないときは、話し合うのではなく、決まった手順で戻します。一回目は文書でお知らせして直してもらう。それでも直らなければ役割を小さくする。さらに続けば、その役割を終えてもらう。
ここで大事にしたかったのは、これを罰にしないことでした。
反省会もしませんし、責める場も作りません。誰が悪いという話ではなくて、ただ、決まりから外れているので戻します、というだけの手続きにしたいと思っています。一度外れた人が、期間を空けてまた戻ってこられるようにもしてあります。
ただ、ここまで書いておいて、迷いも残っています。
こういう仕組みは、冷たく感じられるかもしれません。せっかく力を貸してくれる人が、窮屈だと思って離れていく可能性もあります。それは十分ありうる話だと思っています。
それでも今のところ、私はこちら側を選んでいます。任せてもらえる範囲がはっきりしている場所のほうが、実は動きやすいんじゃないか、とも思っていて。
正解かどうかは、やってみないと分かりません。窮屈だと感じたら、そう言ってもらえるとありがたいなと思っています。